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一日一冊、本を食う

長年の積ん読本を読み切るブログ

【017】遠藤周作『人生には何ひとつ無駄なものはない』1998年

読書中 記録中

『私のイエス』(エッセイ)

人間というのはたくさんの情熱で生きていくことはできない(p.14)

『生き上手 死に上手』(エッセイ)

尊敬する小説家フワンソワ・モーリヤックの最後の作『ありし日の青年』
「ひとつだって無駄にしちゃあ、いけないんですよと、ぼくらは子供のころ、くりかえして言われたものだ。それはパンとか蠟燭(ろうそく)のことだった。今、ぼくが無駄にしていけないのは、ぼくが味わった苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみだった」(p.14)

モーリヤック著作集 6 小説 6

モーリヤック著作集 6 小説 6

 ある時期から私は自分のなかの色々なチャンネルを一つだけと限定せず、できるだけ多く廻(まわ)してやろうと考えはじめた。
 音ひとつを鳴らして生きるのも立派な生きかただが、二つの音、三つの音を鳴らしたって生きかたとしては楽しいじゃないかと思うに至ったのである。(p.15)

 我々人間は、人生という舞台で自分を表現しようとして生きているのだが、誰もが十分自分を表現しえたと満足してはいないだろう。何か表現できなかったものがあると死ぬまで考えているだろう。
 若い頃はその「表現しえぬ」ことにあせったが、この年になってみると、これでいいのだと思うようになった。というのは我々を包んでいる大きなものが、その表現できなかったものを充分に吸いとって、余白のなかで完成させてくれていると考えるようになったからだ。(p.20)

『心の夜想曲』(エッセイ)

 六十歳になる少し前ごろから私も自分の人生をふりかえって、やっと少しだけ「今のぼくにとって何ひとつ無駄なものは人生になかったような気がする」とそっと一人で呟くことができる気持ちになった。

小説家は作中人物を生むために、たえず自分の過去の貧しい体験や心理を牛のように反芻しているものだ。反芻に反芻を重ねているうちに、それら貧しい体験や心理が実はいつか来る大きなもののためにどんなに欠くべからざるものだったか、わかってくる。表面は貧弱にみえた出来事や経験、表面は偶然にやったようなことにも実は深い意味がかくされていて、その意味の珠(たま)と珠とが眼にみえぬ糸によってつながれ、今の自分を形づくっていることが感じられる。(p.16)